もうこんな時間かって驚くほどさ

「ママはコスパの悪いことが大好きだよ。」
maosoir 2023.12.29
誰でも

2022年の小学生の流行語ランキングの1位は「ひろゆき」こと西村博之氏の「それってあなたの感想ですよね」だという。自分の子どもが小学生になり「それってあなたの感想ですよね」と言っているところを想像すると面白い。

ひろゆきのYouTube切り抜き動画はいくつか見たことがあるが、「コスパが悪い」ことを悪としていた。ひろゆきが若者に支持されている理由はよくわかる。コスパの悪い進路は選べないし、コスパの悪い仕事は選べない。コンテンツは多すぎる。若者は追いつめられている。

わたしが子どもの頃、父にしてもらったことでいちばん印象的なのは四歳(保育園年中)のときにミヒャエル・エンデの「モモ」を一ヶ月くらいかけて寝る前に読み聞かせしてもらったことだ。ほんとうは当時小学二年生だった姉のために始められた「モモ」の読み聞かせであったが、姉が小学校で疲れていたのか早々と離脱したため聞いているのがわたしだけという状態になり、父はやめようかと思ったというがわたしが続きを要求したため続けられ、ハードカバー360ページが読了された。

わたしがずっと精神的なつながりを重要だと思い、学生時代にはずっと貧乏な生活でもいいから映画や舞台の裏方として生きていきたいと思ったことがあったり、芸術がいちばん価値があると思っていてお金持ちになることに興味がなく、子どもが生まれたのだからお金について学ばなければと思いながらも貯蓄術の勉強が億劫だったりするのは、元をたどれば四歳のときに読み聞かせられた「モモ」が影響しているのかもしれない。

レコードだってそうだ。レコードこそコスパが悪いものの代表的な存在ではないか。

しかし、わたしが初めて山形のジャズ喫茶OCTETに行ったときのことだ。レコードのA面の演奏が終わり、マスター相澤さんが裏返してまたターンテーブルの上に宝物のようにレコードをそっとのせ、針を落とし、店内の壁一面に詰め込まれた大量のレコードから次に流すレコードを探し始めるーーという一連の行為を見たとき、外の世界とのあまりの違いにOCTETがここだけ違う速さで時間が流れている異世界のように感じられた。

そしてそこはわたしに現実を忘れさせたり、たくさんの考え事をさせたりしたのだった。

山形市幸町のジャズ喫茶「OCTET」。「舶来でJazzが来る」と書いてある。常連のジャズ好き老人もいれば文庫本片手に居座る大学生もいる

山形市幸町のジャズ喫茶「OCTET」。「舶来でJazzが来る」と書いてある。常連のジャズ好き老人もいれば文庫本片手に居座る大学生もいる

OCTETに初めて訪れたときの忘れられない思い出がある。

夜になり、ご飯も食べず数時間滞在しわたしはカウンター席に移動していた。

「いいのかげてける」

そう言ったマスター相澤さんがかけたのはサックス奏者Zoot Simsのライヴ盤だった。

「これはな、ズートば山形さ呼んだときの録音なんだ。おれが呼んだんだよ」

アンコールで登場したズートに「もっとやれー!」と興奮して叫ぶ山形の観客。わたしの知っている山形県人とはまったく違う。ジャズの演奏にこんなに熱狂する人たちが70年代の山形にいたのだ。なにもない、ここはわたしの居場所じゃないと思っていた山形。わたしは椅子に座りながら大きく体を揺らし、化粧が落ちるのも気にせずぼろぼろと涙を流して泣いた。

「ズートば、好きだが?」

そんなわたしを見た相澤さんは何かを企んだようなにやにやした顔で言った。

好きです、と私が答えると、「これがシリアルナンバー入りの最後の一枚なんだよ」と言うので焦って「買います!」と言うと、それを見ていた他のお客さんが「まだそだな事言って。嘘だず、う・そ!」と言って笑った。

鎮座するJBLの巨大なスピーカー。ふたつの聖なる巨大な神の岩のようだ

鎮座するJBLの巨大なスピーカー。ふたつの聖なる巨大な神の岩のようだ

子どもが生まれてから病気や離乳食の情報を得るためにツイッターでママ垢を持っているのだが、おうち英語・おうち知育を発信しているアカウントをつい見てしまうことがある。自分の子どもに色々なことに興味を持ってほしく、できることなら人生を有利に進めさせてあげたいという気持ちがあり、気になってしまうのだ。しかし見るにつれ親が子どもに教えられることは親が持っていることだけなんだなと思う。海外勤務の経験があるママは英語ができることが人生においてどれだけ有利かわかっているから早期英語に余念がないのは当然だ。ではわたしはいったいなにを与えてあげられるだろう?と考えたとき、わたしが持っているものしか与えることができないんだな、それってなんだろうと思った。

わたしがいろいろな音楽を聴き、本を読み、映画を観て、それらについてコーヒーを飲みながら答えの出ない問いにぼーっと思いを巡らせている時間を豊かだなあと感じるのは、わたしが子どもに与えることのできる感受性なのかもしれない。

将来コスパが、と子どもに言われたら笑ってこう言おうと思う。「ママはコスパの悪いことが大好きだよ」と。

もう年末ですね。時間というものはときに驚くほど早く、またときに驚くほどゆっくりです。よい年末年始をお過ごしください。

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