なぜ子守唄は悲しいメロディーなのか
ねんねんころりよ おころりよ 坊やは良い子だ ねんねしな
ねんねんころりよ おころりよ 坊やのお守りはどこへいた
あの山越えて 里越えて 坊やの土産を買いにいた
里の土産は何もろた デンデン太鼓に笙(しょう)の笛
起き上がり小法師に豆太鼓
生後三ヶ月ほどの赤ちゃんを連れて実家に行き、そろそろ眠くなってきたかな、と言うと九十四歳の祖母がこの子守唄を歌い始めた。あまりにも悲しいメロディーに、知ってはいたが改めて人が歌っているのを至近距離で直接聞くと、歌というのは脳を濾過せずダイレクトに心臓に響くのか、衝撃的であった。
子守唄は赤ちゃんを眠らせるための歌なのになぜこんなにも悲しいメロディーなのか。
子守唄や民謡の多くは労働歌だった。つまりブルースである。
よく知られた冒頭の「ねんねんころりよ」の子守唄は「江戸子守唄」といい、江戸時代中期の頃に流行し、江戸後期に人の往来が激しくなると歌詞やメロディーを少しずつ変えて日本各地に伝播していった唄だそうだ。
子守唄には母親の歌う子守唄と子守奉公に来た人が歌う子守唄とふたつある。後者はつまり現代でいえばベビーシッターが歌った唄である。現代のベビーシッターには高い時給が発生しているが、子守奉公の少女には本人に報酬が発生することはない。報酬は里の両親のものだ。そんな子守娘もまた母親が恋しい子供の年齢にすぎない。ヤングケアラーだ。
その中でも江戸子守唄は母親が歌う数少ない子守歌である。
”坊やのお守り”とは子守奉公の少女のことで、子守奉公の少女も盆と正月心付けをもらって里に帰る。そこで貰った土産が「デンデン太鼓に笙の笛」。赤ちゃんをあやす道具である。つまりこれを持って帰ってさらに子守に励めよ、という里の両親からの叱咤激励である。
寝かしつけは育児の中でいちばん苦労するところである。寝かしつけに二時間かかるなんてよくあることで、夜泣きする赤ちゃんを寝かしつけるために夜中ドライブに出掛けるのもよく聞く話だ。こんなに頑張っているのになぜ寝てくれないのかとイライラし、泣きたくなることもしょっちゅうだ。
母親は子守奉公がいない間この歌を歌っていたのだろう。そう考えるとなぜ悲しいメロディーなのかわかるような気がするのではないだろうか。

新生児のころ、メリーをつけている間30分ほどだけ機嫌よく過ごすことができた
今週末は夫が2年半ぶりにDJをするようです。わたしが妊娠してからずっとイベントに行くのも出演も控えていたのですが、今回お誘いにのってやってみることにしたようです。夫にはDJを続けてほしいと思っていたので嬉しいです。娘には父が自分の好きなことで楽しんでいる姿を見て育ってほしいな、と思っていたので。そのかわりにわたしは夜までワンオペ大変ですが頑張ります!
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