軽蔑していた大人
2021年11月24日、わたしはスーパーの駐車場に停めた車の中で泣いていた。
市の健康センターで母子手帳を受け取ってきた後だった。もう戻れない、と思った。お腹の中には赤ちゃんがいる。それが社会から正式に認められたのだ。
赤ちゃんの心臓が動いていることーーつまり心拍が確認できたのはその8日前のことだった。
わたしは一年前、最初の妊娠で稽留流産していた。稽留流産とは、 多くの場合、妊娠12週未満の早期流産の時期に起こる流産で、心拍が確認できないことによって判明するものだ。 稽留流産を経験するのは妊婦の約8~15%前後と統計があり、6~7人に1人の割合だ。当時は、姉も妹も、友人からも稽留流産したという話を聞いたことがなかったため、天国から地獄に突き落とされたような気がした。それから一年後、わたしは二度目の妊娠をした。今回は心拍が確認でき、初めて母子手帳を貰いに行った。
わたしをそれほど悩ませていたのは、NIPTを受けるかどうかということだった。
NIPTとは出生前診断のことで、母親から採取した少量の血液でお腹の中の赤ちゃんがダウン症候群かどうかがわかるというもので、近年高齢出産の妊婦が多いこともあり、診断を受ける妊婦が増加している、メジャーになりつつある診断だ。NIPTで陽性、つまりお腹の子どもがダウン症候群だった場合、97%の妊婦が中絶を選択するというデータが出ている。
わたしは以前から、夫に「もし生まれてくる子どもに障害があったら、絶対に育てられないと思う。施設に預けるしかないと考えている」と話していた。以前、障害を持つ子たちが利用する放課後デイサービスのクリスマスパーティーの手伝いに行ったことがあるのだが、そこで集まったダウン症を持つ子どもたちーー幼児から二十歳過ぎの青年もいたーーを間近で見たことと、その母親たちが5、6人で座って半円形になって話していた内容、「子どもを殺して自分も死のうと思うんだけど、今日も生きているんです」という言葉に全員が頷いていたのが忘れられなかったからだ。
NIPTは受けられる期間が決まっており、妊娠10~16週のあいだでないと受けられない。妊娠10~16週。最も悪阻が酷い時期である。わたしは20万、30万払ってもNIPTを受けるつもりでいた。しかし心拍を確認したわたしには全く別の感情が生まれていた。このお腹の命を殺すことなんてできない。自分が心臓を止めるなんてできない。わたしはぐちゃぐちゃな気持ちで泣き続け悪阻で気持ちが悪くなり吐いた。
夫は「障害があっても育てるつもりだ。ただもし、どうしても君の心身がおかしくなってしまうのだったら、施設に預けるしかないと思うけど」という意見だった。何を言っているんだろう、と思った。障害児、医療ケア児を育てる生活がどんなものなのか、どれくらい知っているのか。育児ではない、一生死ぬまで介護して人生が終わるのだ。しかも自分が死んでも子は生き続ける。安心して死ぬことすらできないのだ。
ただ、NIPTでわかる障害はダウン症候群だけである。知的障害や後天的な障害、発達障害など生まれてからでないとわからない障害のほうがずっと多い。そんなところまで心配していたら、子どもなんて作れないのだ。しかし妊婦検診で医師に聞いたところ、100人妊婦がいたら妊婦の年齢や疾病、健康状態にまったくかかわらず必ず5人か6人の妊婦に障害をもった子どもが生まれてくるという。「親ガチャ」という言葉があるように、妊娠・出産は100%親のエゴである。生まれたいと思って生まれてくる子どもなんてこの世にいないのだ。妊娠・出産が親の責任であるなら、幸せな人生を送れないかもしれない、苦労や苦悩ばかりの人生を送る可能性が高い子どもをこの世に出す前に、この世界を知る前に殺してあげるほうが本当の愛情ではないのか。同時にわたしは障害児を育てられないと確信している。もう母子共倒れになるのが目に見えている。わたしはそう考えていた。
しかし結局、わたしはNIPTを受けなかった。受けられなかった、といったほうが正しい。
脳は冷静に考えようとするのに、身体は震災や津波のような人間の力の及ばない大きな自然災害のようにふるまった。意思を、意味を大きな嵐が跳ね飛ばし、決して台風の中心に入れてはくれなかった。私は大災害を前に、なすすべがなかった。
結局、妊娠中期も後期も胎児に異常はなく、出産時に心拍の値が下がったため緊急帝王切開になった以外は子ども健康に生まれ、現在も何の問題もなく育っている。
私は、今でもあのスーパーの駐車場で泣きながらうつむいていた時を思い出す。なんて醜い人間なのだろう、と思った。妊娠が判明して嬉しいはずなのに、直面したのは己の醜さだった。同時に、ああ、なんて人間らしいんだろう、と思った。

たくさんの悩みを記していたマタニティダイアリーにペンを持てるようになった娘が落書きして上書きした
友人に発達障害の小学一年生の男の子の子どもがいる。話をきくたびになんて大変なんだろう、力になりたい、と思う一方で、「自分の子どもに障害がなくてよかった」とホッとしている自分がいる。高みの見物をしているのだ。自分の子どもだって、自分だって、明日交通事故で突然障害を持つかもしれないのに。
妊娠・出産を経験して以降、わたしは障害をもった子どもへの見方がまるで変わった。あの子はわたしの子であったかもしれないし、あの子の母親はわたしであったかもしれないのだ。わたしが健康な子どもを持てたのは、確率の問題なのだ。
NIPTが広まっていくのは決して悪ではないと思う。中絶も、考えに考えた末のひとつの親の愛情だと思うからだ。しかし、社会を変えなければ根本的な解決にはならないと思う。障害のある人もない人も、快適に、不安にならず、幸せに暮らせる社会。変わらなければならないのは容れ物のほうなのだ。
産後二週間後、参議院選挙があった。安倍晋三銃撃事件のすぐ後だった。わたしは腹に帝王切開用ガードルを巻き、実母に支えられながら歩き投票所に行った。子どもの頃、世の中が悪い、政治家が悪い、と言うのに選挙に行かない大人もいるという事実にわたしは怒っていた。けれどわたしには選挙権はなく、どうすることもできなかった。しかしあれから10年以上経ち大人になったわたしは、自分のアイデンティティを確立するのに精一杯で、恥ずかしいことにほとんど選挙に行ったことがなかった。でももうこれ以上、軽蔑していた大人になりたくなかった。
4月になりました。暖かくなりましたね。気分も少し明るくなります。
これで最後の配信のつもりでしたが、次回最後にもう一通だけ、あなたにお届けします。それで本当の最後になります。どうぞよろしくお願いしますね。
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