もういちど生まれる
寝かしつけのあと、夜十時頃に夫と離乳食のトマトペーストを作りながら「生き直している感じがする」と話した。わたしの最も幼い頃の記憶は保育園の年中か年長あたりーーつまり四歳か五歳で、0歳児の頃の記憶などというものはない。ある人などおそらくいないだろう。スーパーで買ってきたパックのミニトマトを湯剥きし、包丁で切り、スプーンで種を取り、ブレンダーで裏漉しして出来上がったトマトペーストは大さじ四杯分だった。全ての調理器具を洗うと作り始めてから二時間が経過していた。

もう全く遊ばなくなったオーボール
人は勝手にコンビニのお弁当を食べられるようにはならないし、トイレでおしっこができるようにはならないのだ。卵黄、卵白を一日耳かき一匙ずつ食べさせてもらい卵アレルギーでないことを確認し(卵白は冷凍保存できないので毎日茹でる必要がある)、裏漉し状からみじん切り、角切りを経て固形物が食べられるようになっているのであり、トイトレをしたからおむつが外れているのである。
育児がはじまってから、多重の時間を生きていると感じる時がよくある。
夕方六時、夫の帰りを待ちながら泣き止まない赤ちゃんを抱っこし続け途方にくれ、あと二時間、と自分も一緒に泣いているとき。
胃腸炎で三十分おきに下痢便のおむつ換えとおしりに亜鉛華軟膏塗りをし一日中グズグズの赤ちゃんを抱っこし続けて迎えた西日を浴びている夕方四時。
一時間近く奇声を上げ続ける四ヶ月の赤ちゃんに対し耳栓をし「ママを困らせるために生まれてきたの?」と泣きながら言ったとき。
この時間は三十六歳の母親が子を育てている時間であり、記憶には残っていないが確かに存在していた0歳の頃のわたしの時間であり、若き日の母が赤子のわたしを育てていた時間であり、何十年後かに娘が子を育てているかもしれない時間なのだ。
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